横井庄一



横井庄一(よこいしょういち 1915年3月31日生)
 [元日本兵]


 愛知県出身。学卒後は約5年間、愛知県豊橋市の洋品店に勤務する。そして1935年に第一補充兵役に編入、日本陸軍入り。4年間の兵役の後、洋服の仕立て屋を開く。

 1941年には大東亜戦争(太平洋戦争)のため再召集され、満州を経て1944年からはグアム島の歩兵第38連隊に伍長として配属。戦争が激化し、同年8月にグアムで戦死したとされ戦死公報が届けられた。1965年10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。

 その当時グアムに残っていた隊員にはポツダム宣言受諾によって日本軍の無条件降伏が発令されたことが知らされなかった。横井はジャングルや自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年1月24日に食料調達のため川でエビを採っていたところを現地の猟師に発見され、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した。

 軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際、羽田空港で発した第一声は「恥ずかしいけれど、帰って参りました」であった。この言葉をとらえた「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となった。同年2月2日14時から60分間にわたりNHKで放送された報道特別番組『横井庄一さん帰る』は、41.2%の視聴率を記録した。

 帰国後は、愛知県名古屋市中川区富田町に居住した。戦後の日本の変化に適応できるかどうかが心配されたが、驚くほど素直に戦後の日本に馴染んだ。この点は、同じ残留日本兵である小野田寛郎が、1974年の帰国後、戦後の日本に馴染めずブラジルに渡航したことと対照的である。その年に幡新美保子と結婚した後は、自身のグアムでのサバイバルについて耐乏生活評論家、あるいは生活評論家として全国各地で講演、1974年7月の第10回参議院議員通常選挙にも無所属で立候補した。

 1997年9月22日、心臓発作で死去した。享年82。


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