並木葉子



並木葉子(なみきようこ 本名:長内敏子 1938年2月16日生)
 [双子デュオ歌手「こまどり姉妹」のメンバー]
※画像向かって右


 北海道で炭鉱労働者をしている父親の双子として生まれた。太平洋戦争後は、極貧生活の中、帯広市や釧路市の炭坑町を転々としていた。

 1951年に上京し、東京都山谷に住み、父親に連れられ、三味線を片手に台東区浅草の飲食街を流すようになる。その頃スカウトを受け、1959年、コロムビアに入社。「こまどり姉妹」という名は一般公募で決められた。

 デビュー曲は当初「三味線姉妹」であったが、浅草を流していたという経歴から「浅草姉妹」へ変更となった。愛称は「演歌版ザ・ピーナッツ」。同じ双子のザ・ピーナッツとの交流は歌謡ジャンルが違っていたものの公私共に盛んであった。

 1961年、NHK紅白歌合戦に初出場。ザ・ピーナッツに次いで紅白史上2組目の兄弟・姉妹での出場となった。紅白歌合戦にはこの年から7年連続で出場している。

 人気絶頂の1966年5月8日、鳥取県倉吉市で公演中に突然、18歳の男が舞台に駆け上り、葉子の腹部を刃物で刺し全治2ヶ月の重傷を負わされる事件が起きた。この男は、栄子の方のファンで、ファンレターで結婚を望んでいたが応じてもらえなかったので、栄子を幸せにするために、葉子を刺すという歪んだ行為に至った。同時に自分も腹を指したが10日間の怪我だった。しかし、その1年後に、男は首吊り自殺した。

 葉子は、しばらくして舞台に復帰したが、こまどり姉妹はその後も不幸に見舞われ、父母の死、栄子のガン、葉子の大怪我、栄子の交通事故、脱税問題などの不幸が続き、大きな借金を抱えたまま一時芸能界から離れた。

 1984年、久々の新曲「浪花節だよ人生は」で活動を再開。2008年には第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。そして、2009年にはドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』が公開された。


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