松島トモ子



松島トモ子(まつしまともこ 本名:松島奉子 1945年7月10日生)
 [歌手/女優]


 中国の満州奉天生まれ、東京都育ち。生後まもなく満州からの引き揚げを体験。3歳から石井漠舞踊研究所に入門、バレエを始める。

 映画館の劇場ニュースにて、石井漠門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」としてとりあげられたところ、 そこに映っていた松島トモ子を阪東妻三郎がスカウト。1949年に芸能界デビューし、多くの映画に出演した。

 童謡歌手としても、米山正夫門下となり、1953年、コロムビアより「村の駅長さん」でデビュー。映画主題歌や挿入歌を吹き込んだことでも有名である。

 少女雑誌「少女」では、表紙モデルを1951年から1959年までの8年間務め、芸能雑誌「平凡」でもグラビアモデルを務めた。

 大東学園高等学校卒業後は、ミュージカルを勉強するため渡米。 ザ・マスターズ・ハイスクールに2年間留学。帰国後は、ミュージカルを中心に、ラジオ、テレビのパーソナリティ、「ひょっこりひょうたん島」の声優など活躍を見せた。

 1986年1月28日にテレビ番組の撮影の為にケニアを訪れ、野生のエルザの作者でもあるジョイ・アダムソンの夫であるジョージ・アダムソンと共にナイロビのコラ動物保護区で人に慣れた野生のライオンの群れと接触し子ライオンと戯れていたところ、ジョージが松島とライオン達から目を離した隙にその子ライオンの母親の雌ライオンに襲われ、首や太腿に全治10日の大怪我を負った。

 治療後再び別の動物保護区を訪れ、万全の態勢でロケに挑むが、今度はその事件の10日後の2月7日に保護区のスタッフの男性と共にこの保護区で飼育されているヒョウを見に周りを高い柵で囲われた施設に行った。ヒョウを見に施設の外に出たところ、その柵を跳び越えて中にいた夜の為他の人も誰も気付かなかった雌ヒョウに襲われ首に噛み付かれ持ち上げられた。これは、松島の隣にいたこのヒョウの飼い主の男性が松島と親しくしているように見えたためこのヒョウが嫉妬したためだと考えられている。

 この後、松島は救助隊に救急ヘリを要求したが、夜間の飛行は危険であるとして拒否されたため朝まで止血しながら耐え、その後、朝になり救急ヘリが到着し病院に運ばれた。

 ヒョウに襲われた時は第4頚椎粉砕骨折で1mmずれていたら死亡または四肢が麻痺していたと言われ、後遺症もなく生存している事は奇跡に等しく、ニューヨークの学会で発表されたため医学会では有名な存在である。ただし、これは襲われたのが共に雌ライオンと雌ヒョウだったためであり、雄ライオンと雄ヒョウだった場合は命はなかったと思われる。さらにライオンの場合は自分の子に危険を及ぼすかもしれないと考えて排除しようとしただけであり、ヒョウの場合も飼い主の隣にいた松島を排除しようとしていただけであり、ライオンとヒョウに殺意はなかったためである。


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ