レナード・ウォーレン



レナード・ウォーレン(Leonard Warren 1911年4月21日生)
 [アメリカ・バリトン歌手]


 毛皮商を営むユダヤ系ロシア移民の長男としてニューヨークに生まれる。高校卒業後、はじめ家業に入るが、1935年、同市のラジオ・シティ・ミュージック・ホールの男声合唱団のオーディションに合格し、プロ歌手としての第一歩をしるす。1938年にはメトロポリタン歌劇場のオペラ放送用オーディションにも合格し、正式の音楽教育を受けていなかったにもかかわらず彼はメトロポリタン歌劇場との契約に成功する。

 同年夏には、メトロポリタン歌劇場はウォーレンを給費研究生としてイタリアに派遣、ジュゼッペ・デ・ルーカなどに師事してオペラ歌手としてのトレーニングを積む。帰国後はコンサート形式での「椿姫」や「道化師」演奏に参加などした後、正式なメトロポリタン歌劇場初舞台は1939年1月のヴェルディ作曲「シモン・ボッカネグラ」のパオロ役。欧州情勢緊迫化によるヨーロッパ出身歌手の不足に悩んでいたメトロポリタン歌劇場が、このようにしてアメリカ人若手歌手に勉学と出演の機会を積極的に与える時代だったことは、ウォーレンにとって幸運だった。

 第二次世界大戦後は活躍の場を広げ、米国内ではサンフランシスコ、シカゴなど、あるいはメキシコシティやブエノスアイレスなどの中南米都市の歌劇場にも頻繁に出演し、またイタリア・オペラの本家本元を自負するミラノのスカラ座にもヴェルディ「リゴレット」および「オテロ」で出演するなど、ヨーロッパでも認められるバリトンに成長した。1958年には彼の父祖の地ともいえるソ連・モスクワでのリサイタルも行い、大成功している。

 1960年3月4日、ヴェルディ作曲「運命の力」のドン・カルロ役を演じていたウォーレンは、第3幕のアリアに続くカバレッタ"Egli è salvo!"をまさに歌おうとする直前、舞台上で倒れる。ほぼ即死であったという。まだ48歳の歌い盛りであった。

 1960年3月4日死去(享年48)


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