2・1 人生は、何らかの物語に組み込まれている。 2・11 人生という単位は、ある物語の内から一部を取り出したものにすぎない。 2・111 小さな孤独Aは大きな世界Bから取り出したものにすぎない。 2・12 人生は、他の世界との関わりによって新たに物語を創り出す。 2・2 物語は、人生に刺激を与える。 2・21 物語は生まれた時には持っておらず、生きているうちに獲得する。 2・22 他の物語や他の人生を比較することで、その人生に希望や絶望が与えられる。 2・23 希望や絶望が積み重なって、喜劇や悲劇の人生として評価されるようになる。 2・3 物語の無い人生は、私にとって無価値である。 2・31 物語の原理は愛と死である。 2・311 物語が無いということは、愛も死も無い、あるいは愛や死のメタファーも無いということを意味する。 2・312 愛か死の片方しか見出せない場合でも、不完全ではあるが物語である。 2・313 刺激の無い人生を語ることなど、できない。 2・32 生の象徴は愛である。 2・321 愛には三つある。人形愛、人間愛、家畜愛である。 2・3211 人形愛とは、対象を人形のように、人間以上に大切に扱う愛の形である。人間愛とは、対象を人間として扱う愛である。家畜愛とは、対象を家畜のように、人間以下としてぞんざいに扱う愛の形である。 2・32111 三つの愛を判断する基準としては、セックスが一応の目安として挙げられる。人間愛は二人の恋愛の一幕として、家畜愛は最終段階として、人形愛は美として捉える。 2・3212 人形愛は解脱へ、人間愛は浄化へ、家畜愛は堕落へ向かう。 2・322 三つの愛に善悪はない。ただし、物語にとって人間愛は、最も一般的な愛である。 2・33 死は死の象徴である。 2・331 死の本質を知ることは、物語の本質を知るということに等しい。死の意味を求めることは、物語の意味を求めるということに等しい。 2・332 良い死に方と悪い死に方があるとしても、良い死も悪い死も無い。幸福な死に方と不幸な死に方があるとしても、幸福な死も不幸な死も無い。 2・3321 死とは、現実からのある孤独の消滅である。 2・34 愛と死は対なるもの、ゆえに本質は究極的に同じである。解脱、浄化、堕落は、いずれも愛と死から構成されるものである。 2・35 死が奪う本質を持つように、愛も奪う本質を持つ。愛が与える本質を持つように、死も与える本質を持つ。 2・4 私の人生だからと言って、私が物語の主人公、あるいは主役であるとは限らない。 2・41 主人公と主役はだいたい一致しない。 2・411 主人公とは物語の中心にいる者、主役とは物語に影響を与えることができる者を意味する。 2・4111 特に、主役は物語の核である。 2・4112 主人公がいなくても困らない物語さえ存在しうる。 2・412 物語は、単体の世界からは生まれることが無い。 2・4121 物語は、複数の世界の相互関渉によって滲み出る。 2・41211 愛と死に本質的には優劣が無いように、物語にも優劣は無い。 2・4122 孤独から物語は生まれない。 2・42 それぞれ世界は、物語にそれぞれ相応の役を演じることを要求されている。 2・421 世界が役を全うしないならば、役を放棄するならば、その世界を擁する物語は崩れる。 2・422 崩れた物語は、未完となるか、あるいはそのまま意に反した物語を生むかである。しかし、私はいずれにも興ざめするであろう。 [先頭ページを開く] [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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