2016年09月17日(土) 【日記】 死んだ人の葬式をまた開く夢や、旅をしている夢を見た。連休を作ることができたので、夢に耽ることができる。泣きながら起きたのはずいぶん久しいことのように思える。 街へ出たぐらいではどうして旅にならないのだろうか。近所では手に入らない物を買えるのに。昨日よく歩く道の木に白い飾りがしてあって、「太田姫神社」という名前がついていた。前からぶら下がっていたのか、覚えが無い。自由に持っていっていい神符には、風邪を治すとの利益が書かれていた。広げて見て、また戻した。 今日ぐらい何も書かないのでは、連休を取ったことが阿呆らしい。私は昨日も街へ出て、人など眺めていた。人は人として生きている限り、どこにでもいる。 夢は創作の時間ではないが、夢がなければ生活に曲線を引くこともできない。虚線。私は起きてから、その人が死んでいたことを思い出す。私は旅から帰っていたことに気づく。 ある日実家にいる夢を見て起きて、天井を眺めていた。この数年のほぼ毎日を過ごしているはずのここが、しばらくどこだか分からなかった。そして私は実家の間取を記憶している。裏に生えていたすももの木は、記憶通りまだ生えている。 食べものの話くらいしか刺激は無いのかもしれないが、食べものの話なんか夢の話よりつまらないと思っている。夢は毎日見たとして覚えているとは限らないが、食べものは一日に三度も食べるからである。おいしかったはずの飯でも、次の飯はおいしいとは限らない。次に食べているのはキャベツという味気なさかもしれない。なぜそう至るところに食べものは転がっているのか。誰かが食うからである。なぜそう私は食べものを腐らすのか。私が腐っているからである。 現場には洗剤があふれていて、いいにおいとされているにおいがよく漂ってくる。しかし私はタバコのにおいも嫌いだし、それの化学まみれたにおいも嫌いである。自分の汗のにおいももちろん臭いが、自分のにおいしか信じられるものはない。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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