2015年03月08日(日) 【日記】 今、私でない私にできることと言えば、こうして何もしていない中でも何か書くということができるだけだ。あらゆる表現形式が表現たりうるのは、それが何をふまえていなかったとしても、一応は形式に従って有形として排出されるからである。何も起こらない作品は何かと言えばつまらないと判定されることになる、しかし私は作品を作っていたのではなく、私でない私に私なりの私を見せようとして文章を書くのであった。これは届いているかもしれない私である私への、数少ない手紙でもあると言える。どうせ私の生活であるからおもしろいわけでもないし、新しいと思えることはひとつひとつ粉砕していく後続がいるのだからどうしようもないことだが、私にはペンという棒切れにしがみつくだけの余裕はあったから、まだ死んでいないのかもしれない。「死んでいない」と表するのは死んでいたいという率直な気持ちをほんの少しずらしたことで固定された地点である。私は文章を気体だったものを形にするつもりで書いていた。今日は気味が悪い。頭の中でまず否定がうかび、否定を身体が受け入れるかどうかのところで私が彷徨っている。為さねばならないことは数えるほどにはあるのに、私は私を全うしようとしない。それはもしかしたらもう、「できない」へ移りつつあるのではないか、と思うと。私は粉々だ。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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