人肉経

2024年04月09日(火)
【思想序説】
 感覚、知識、思想の順番をたどって情報は思想へたどりつく。

 思想のみ目覚めている状態が孤独である。

 関係者とは関係によって成り立つ存在である、ゆえに孤独者は関係者とは成りえない。孤独者が関係者として存在したいと欲するばあい、感覚及び知識を発達させ、その思想へ接続しなければならない。

 孤独者が物語と完全に関係しえたならば、孤独は物語を通じて孤独者へ関係することができる。

 感覚は反応するためのそれが無ければ発達しない。それへ反応するための感覚は、先天的に備わっているものもあれば、後天的に目覚めさせなければならないものもある。

 感覚が発達したからといって関数的に知識が発達するわけではない。発達した感覚を以て知識を発達させなければならない。

 感覚がそれに反応することで情報が生じる。しかし反応したそれを情報として受容するためには知識を蓄えなくてはならない。知識は先天的に備わっているものもあれば、他者による教育によって蓄えることのできるもの、関係者が学習することで蓄えることのできるものとがある。

 感覚が発達しないままそれが関係者へ訪れるとき、関係者は知識によってそれを情報として受容あるいは拒否する。感覚を発達させない限り、関係者はそれ以上の関係性によって、関係することはできない。

 思想の総体を言葉によって断片化することができる。このとき思考と表現が生じる。

 思想を改変しうるものが物語である。物語が思想を改変しうるとき、これを革命という。

 物語は現実と幻想に関わらず存在する。

 現実を現実として認識することはできない、ゆえに関係者は一つの物語として、受容ないしは拒否する。

 幻想を幻想として認識することはできない、ゆえに関係者は一つの物語として、拒否ないしは受容する。

 現在のみが現実味を帯びた物語であって、過去も未来も幻想味を帯びる。過去と未来の違いは既知か未知かの違いである。

 現在を拡大できるならば、現実味も拡大することができる。現在とは瞬間の存在であるはずが、解釈へ幅をもたせることができる。

 物語が全て言葉によって表現されるとは限らないが、関係者は言葉によって物語と関係しようとする。

 関係者である他者が物語を発信するとき、物語は表現と思想を混交している。関係者が物語を受信するとき、混交された表現と思想どおりに反応することも受容することもできない。

 混交された表現と思想のうち、表現が多く抽出された物語は文芸と呼ばれ、思想が多く抽出された物語は文学と呼ばれる。

 有でも無でも無い、有でも無でもある、その矛盾を引き受けるのが人間である。



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