2023年11月21日(火) 【日記】 何もかも終わってしまったのかもしれない、と様々な記憶が辿られる夜である。古典でいう日記というのは毎日書くものでもなかったようだから、断片的に私の贄を持ち出すことにする。私の中にしかないはずの財産。 ふと33にもなって迎えて、オナニーしながら実家にいる母のことや会わなくなって久しい同級生だの、今に至るまで出会ったはずの人々があらわれては消えて、インターネットで消息を試みるも居るひとは居る、居ないひとは居なくって、今後ふえることも無いんだろうと思う。学生のときマンガを描きつづけていた人はマンガ家になっていた、でもその作品をすすんで読むことはしないと思う。 感覚、情報、記憶、知識、思想。昔から概念をこねくりまわしては何にもしないのが好きだった、今でも私が何をしているのか私は知らないが、体は歩き出すと自由に踊ったり歌ったりしている。何にもならないことへの、せめてもの償いと抵抗。 ある夜の帰り道に猫が轢かれていた、次の朝になると猫など居なかったかのように道路は整備され、抹消されていた。こうして自由が保たれる。 徳は孤ならず、とはいっても私は道を求めていたのであって徳ではないんだよ。好きな科目はよくよくふりかえってみると道徳だったり倫理だったりした、けれどそれを実現するために何かを成し遂げた、ということもない。小さいツバメのヒナの命さえ、ただ見届けるだけだ、見守ってはいない。昔も今もあるところで人間狩りが行われているのは知っていて、どうすることもできない。踊って歌ってはぐらかして、何が徳なのか道なのか。 このあいだついに般若心経を間違えずに唱えられるようになったかと思ったが、次の日になったらまたつまずくようになった。これぞ功徳が足りないということなんだろうか。新しいメタルの曲を探すほどの好奇心もわかなくて、目覚めにも通勤で歩いているときにも、念仏をとなえている気がする。悟りの境地に達したとして、だからどうということもなくて、むしろ全てがどうでもよくなって時間や空間、人間は流れていく。太宰治が書いたところの、一切。 寒いからふとんに入って、あたたかいと思う。その気持ちが私のなかにあらわれてくることに、しあわせを感じる。そういうわけで新しいこととは無縁になったらしい、孔子の朋になるべく、論語をひらこう。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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