0系新幹線の歴史

デビュー年n1964(昭和39)年

最高速度n220km/h

元・使用列車nひかり、こだま

元・運行区間n東海道新幹線、山陽新幹線

0系は、1964(昭和39)年10月の東海道新幹線(東京〜新大阪間)開通に合わせ誕生した車両です。

最高速度210km/hの高速スピードで走る「ひかり」は、夢の超特急と呼ばれ、また”shinkansen”の名を世界に知らしめました。

 開業時には12両編成30本360両の体制だったが、その後増備が続けられ、また昭和45年の万国博覧会に合わせ、16両編成の「ひかり」も登場した。

 また、山陽新幹線の開業で0系は博多まで足をのばすことになる。

 こうして長距離運用に酷使され、昭和50年代には初期の車両の老朽化が始まるが、0系の新造投入によってこれを置き換えることになった。

本来は新型車の導入が望まれるところだが、国鉄と労働組合の関係悪化など様々な問題より、なかなか実現しなかった。

 だが次第に国鉄の財政悪化が表面化し、いつまでもコストがかかり、しかも機能面でも劣化した0系を投入し続けるわけには行かなくなった。

そこで、1985(昭和60)年春、山陽新幹線開業時に投入された0系の大量置き換えのために、2階建て車両を組み込んだ100系新幹線が登場し、ついに0系の長きにわたる製造に幕が下りた。

 そして1987(昭和62)年、国鉄が民営化され0系は東海道新幹線を受け持つJR東海に1339両、山陽新幹線を受け持つJR西日本に715両が引き継がれたが、300系、500系、700系という高速度の新幹線が登場すると、特にJR東海では、足が鈍いためダイヤ上邪魔になる0系は本格的に廃車が進められ、「ひかり」から撤退。

さらに、1999年9月18日、21世紀を迎えることなく、0系は古巣の東海道新幹線から姿を消した。

 一方、山陽新幹線では、旧「ウエストひかり」に代表されるように室内を中心とする大規模なリニューアルを行い、また4両、6両という短編成化が進められた。
さらに2002年より、「500系のぞみ」「ひかりレールスター」にあわせた、グレーをベースにした新塗装に変更。

 「こだま」として現在も活躍中であるが、100系新幹線も「ひかり」から撤退し短編成化の上、「こだま」への投入が進められ引退も近い・・・と言われつつも細々と活躍を続けていたが、N700系投入に伴い2008年11月30日で定期運転から引退することが決定した。
 
 引退に際しては、2008年4月18日を皮切りに、6月下旬までに3編成が登場時の塗装に復元されて最後の活躍を開始。

 そして同年11月30日をもって定期運用から離脱。

 さらに12月には「ひかり」として臨時運転され、これが営業線上で見られる最後の姿となった。

 なお、0系は各地で保存されているが、中でも22-141は、JR西日本からイギリスのヨーク国立鉄道博物館へ譲渡。

 なんとヨーロッパの地に永住することになった。

 また、21-5035は台湾高速鉄道で建築限界測定用として使用されている。

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